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KOTAXの日記

飽き性だけど、のらりくらり。

空手の行く末の心配

雑記

最近になって後輩から『試合用の』形を教わっています。

 

自分が習ってきた形は試合ではほぼ使えないので、後輩に指導する上で知っておかなければいけないんですね。

 

で、昔の形と今の形(試合用)を比べて見ると中々考えさせられるものがあります。

 

個性の不必要性

自分が習ってきたのは糸東流という体の糸洲流です。

糸洲流首里手(素早さ柔軟性重視)の流れを組んでいるんです。

形も糸洲流の形ですね。

 

ただ、試合では審判の判断や選手の力量を知る為に同じ動きをする形が必要になってきます。

例えば、AさんとBさんは同じ形を行ってても動きが違うと評価が変わってしまうわけです。

 

そこで、「出来るだけ一つの流派に贔屓しない形」が必要になったんだと思います。

 

すると、各流派独自の形は要らなくなってくるわけですね。試合では使えないので。

中には試合用は別に教えている道場もあると思いますが、少数派な気がします。

 

Let's Dance!

形には各動作に意味があります。

捌きやら受けやら受けながら攻撃やら、多種多様です。

その動きは実際に見ると、不格好です。

 

「え〜でも、形をやってる動画とかのってカッコええやん?」

 

まあ、世界大会とかで行われる形はカッコええです。

今、自分が後輩から教わっている形もそういう形です。

 

でも、それって意味合いが無いんですよね。

確かに格好良くて、元の形から動きを引き継いではいるんですが、元の意味合いはほぼほぼ消えていると言っていいと思います。

 

要は、

「形の意味を知って、技を覚える」

から

「形の動きを覚えて、綺麗にやる」

になっていってるわけです。

 

そうなると、もうダンスですよね。

感情入れて情熱的にやらないと。

 

まとめ

館長も「他人の空手をやってるみたいで嫌だ」と言っているんですが、こればかりは試合で勝てなくなってしまうのでしょうがないそうです。

 

今から空手を習う子供は、試合用の何とも言えない形が本当の形だと思ってしまうのが心苦しいですね。

でもまあ、自分が学んで来た形も本来の意味とは大分違うらしいので、しゃーないですね。